ご挨拶

皆さん初めまして。
しぎょう循環器内科・内科・皮膚科・アレルギー科の皮膚科、アレルギー科責任者の執行 彩希(しぎょう あやき)です。

本日は数ある皮膚科のホームページの中から当院のホームページをご覧頂き、ありがとうございます。
お困りのことがありましたら何でもご相談ください。

私が医師になった理由と目標

医学部入試の面接でまず聞かれる質問「なぜ、あなたは医師になりたいのか」で、何度も考えてきたテーマです。その当時のノートをみると、医師に対する憧れ、受験勉強のしんどさに対する辛さが入り混じっており、いま振り返ると沢山の思い出がよみがえります。 最初に医師になりたいと思い始めたのは、小学校に上がる前の物心がついた頃です。父は歯科医として自宅の近くで働いていて、よく覗きにいっていましたが、いつも笑顔にあふれた場所で患者さんに慕われる医師だと子供心にわかりました。私も、父のように、患者さんに慕われる立派な医師になろう、そんな子供っぽい思いを抱いていました。

受験期が近づくと、医師になるのがいかに難しいか思い知らされます。毎日朝から晩まで受験勉強の日々で気づけばにきびができたり、突然のじんましんに悩まされました。鏡をみると嫌でも目に入るので「どこか体を悪くしたのでは」と慌てて近くの医院に駆け込むこともありました。その時の皮膚科の先生の丁寧な診察、なにより診察後の「大丈夫。よくなるよ。受験勉強大変だろうけど頑張りすぎないようにね」というやさしい声掛けに触れて、自分もこんな風に不安に思っている人を安心させられる医師になりたいという気持ちが強くなりました。受験はなんとか成功し親元を離れて鳥取大学にいくことになりました。 親元を離れると親のありがたさが身に染みて、一人の寂しさ、食事内容の変化などからまた皮疹に悩まされることがありましたが仲間にも恵まれて大自然を満喫しました(大山を登ったり、海に海蛍を見に行ったり)。

あっという間に6年が過ぎ楽しかった大学生活も終わり、生まれ故郷の大阪で初期研修医としての生活がスタートしました。初期研修は内科研修で有名で全国から人が集まる病院でした。朝5時半に起床し夜23時ごろに家に帰るという生活でしたが何よりも充実していましたし、そこで初めて医師として皮膚科の研修がスタートしました。皮膚は病気の数が他の科目と比べて桁違いに多く、見たことがあるかが勝負で最初は右も左も分からず苦労しましたが少しずつ精度が上がっていく自分の診断力、治療提案力にうれしく感じたものです。皮膚科の奥深さ、楽しさにのめり込み大阪大学の皮膚科学教室の門を叩きました。大阪大学はやはり大学病院で様々な希少疾患の勉強ができました。また、大阪府立呼吸器アレルギーセンターに勤務を開始しました。アレルギー疾患にとても力を入れている病院で非常に多くのアトピー患者さんの治療を担当しました。

これまでたくさんの患者さんを診て、そして自分自身が皮膚の病気を繰り返したことで思うことがあります。皮膚の病気は目に見えて分かります。その分他の病気よりも「自分の体は大丈夫なの?」「なにか大変なことになっていないかしら」という不安、そして周囲の人からおかしく思われていないかなという不安、そういった二つの不安が他の病気と比べて明らかに大きいんです。周囲に相談できない、、、なかなか良くならない。私自身も患者として悩みました。どうか一人で抱え込まずどんな事でも気軽に相談してください。少しでもあなたの不安を軽くして解決し笑顔を取り戻すお手伝いが出来ればと思います。

副院長はこんな人です

智辯和歌山学院高校を卒業後、鳥取大学医学部を卒業。
市立堺病院(現堺市立総合医療センター)、大阪大学、JCHO大阪病院(旧厚生年金病院)大阪府立呼吸器アレルギーセンター(現大阪はびきの医療センター)で研鑽を積みました。

出身地 大阪府堺市、3月生まれ 血液型はB型 うお座
好きな食べ物 アイス、寿司、甘いもの全般
苦手なもの 辛い物
動物占い 面倒見のいい黒ヒョウです、夫がのんびりしているので、いつも面倒をみています。
趣味 美味しいものを食べに行くこと
最近うれしかったこと 子供が「ママ」といって笑いかけてくること。

副院長略歴

  • 鳥取大学医学部卒業
  • 市立堺病院(現堺市立総合医療センター)
  • 大阪大学
  • JCHO大阪病院(旧厚生年金病院)
  • 大阪府立呼吸器アレルギーセンター(現大阪はびきの医療センター)

    を経て2020年4月より現職

副院長の資格など

  • 日本皮膚科学会皮膚科専門医
  • 産業医